KDS-SD 桑沢デザイン研究所
スペースデザイン

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桑沢スペースデザインの血脈 01

今回から巻頭特集ではスペースデザイン科の非常勤講師に桑沢の教育などについてのインタビューをし、シリーズ連載していこうと思う。初回は、1970 年代中頃に本校夜間部で学び、その後インテリアデザイナーとして第一線で活躍し続けてきた北岡節男先生に話を伺った。

インタビュー・文
大松俊紀(スペースデザイン科専任講師)、山本怜奈(教務助手)

北岡節男
Setsuo Kitaoka

1946年高知県生まれ。日本のインテリアデザイナー。
1974年、桑沢デザイン研究所卒業。1977年、北岡デザイン事務所を設立。
山本耀司、高田賢三、菊池武夫、バーニーズ・ニューヨーク等のショップデザインなどで知られる。梅田正徳、内田繁、杉本貴志より下の世代であり近藤康夫、飯島直樹、沖健次らと同世代のデザイナーとなる。
1997年に第5回桑沢賞を受賞。

北岡 スーパーポテトの杉本貴志さんの「ラジオ」というバーを雑誌で見たことかな。年齢が僕と2 歳くらいしか違わない人が、こんな仕事をしているんだなと。僕はその頃、あるファッションメーカーの宣伝部にいたんですね。そこのショップデザインとかグラフィックデザインとかをしていたんだけれど、自分に大したことができていないという不満があって。一方杉本さんはやりたいことがはっきりしていて、1 点だけのインテリアをつくっていた。その時に「もう一度勉強し直さないと、サラリーマンがたまたま図面が引けるというようなレベルで終わってしまう」と思ったんです。それから自分は本当にデザインがやりたいのか、っていう自問自答もあってね。それで桑沢に入学しました。その前にもデザイン学校に 1 年行ってたんですけど、働き始めてから自分の能力のなさを知ってね。だから桑沢しかなかったんじゃないですかね。

北岡 内田繁さんは授業より酒を飲みに行くって感じだったね。でもそれはすごく良かったと思う。本気でデザインのことを話してくれました。ある時に、「北岡、モスクワの赤と北京の赤の違いを知ってるか? あれは思想が違うんだ」って。でもそういうことを本気で教えてくれていたんです。

北岡 そうです。空間デザインは 1 年しかやらない。だから、年間 7 つも住宅設計をやるんですよ。今でも印象に残っている授業はね、ハンスカ(ハンド・スカラプチュア)かな。

北岡 僕もやったほうがいいと思う。ベーシックがないとラジカルなんて有り得ないものね。

北岡 好きだったのは篠原一男とミース。学生の時に、そこにあるもうボロボロのミースの椅子を買って……当時で 8 万円くらいしました。椅子がすごい好きで、ある店によく見に行っていて、年中行くから「そんなに欲しいの?」とか店の社長に言われてもう買うしかないのかなって。うちのかみさんの貯金をおろして買っちゃおうって。働かないでそんなことをやっていた(笑)。

北岡 その時代って、良くないかもしれないけど、仕事と遊びのけじめが全くついていませんでしたね。例えば翌日プレゼンがあって模型をつくっているのに、夜 12 時頃ちょっと疲れたから飲みに行ってね。そこで店のアルバイト学生がたまたま建築を勉強してるっていうから、家につれて帰ってそのまま朝まで模型を手伝ってもらったりしてましたね。

北岡 絶対だめだと思うよね。そんなスタッフ要らないもん。事務所の仕事と自分のプライベートを分けるような人は事務所に来るなって! もっと言うと、事務所は学校より大事なんです。事務所の仕事はリアルな授業みたいなものです。良い事務所に入れば、教わることは本当に多い。桑沢のスペースを出たらインテリアに進む人が多いけれど、いい建築事務所に入ればそこそこの建築家にもなれるんです。

北岡 初めは同級生と一緒にやっていたんですが、考え方が合わずに半年くらいで解散してね。それからは自分で。営業なんてやったことがないですから、もう試行錯誤でね。美容室のデザインをやりたいと思って、美容室に材料を納めている材料屋さんに片っ端から電話した。ほとんど断られたね。でも1 社だけ会ってくれた。たまたまそこの社長の奥さんが僕と同じ高知出身の人でね、新橋の美容室を紹介してもらって、設計をやらせてくれる話になりました。けど、デザイン経験も浅くてディテールも大して図面も描けないわけだから、ほとんど友達に聞きに通いながらデザインしていましたね。

 そんな時、ファッションデザイナーの山本耀司さんのことが新聞コラムに載っていて。面白いと思って、うちの妻に話したら、耀司さんところに知り合いがいるって。当時山本さんの会社もそんなに大きくなかったから、10 坪程度のお店をデパートなどに出していた。それで、札幌でオープンする店舗を1 件やらせてもらえることになりました。そうしたら、それまでに店舗デザインをやっていた設計施工の会社よりはセンスがいいと言われて、じゃあ次もやったらって。そんなことで徐々に多少のデザインに対する自信もついてきましたね。 その頃はインテリアデザインの概念みたいなものを常々考えている時期でした。床と壁と天井で成り立っているインテリアの、その概念をどこかでまったく違うようにできないのかと。直行する壁と天井─そんな常識に関係ない、僕が本当に素直に思っていたインテリアに対する概念をどっかで飛躍しなきゃいけないって、大げさに考えたりしていました。

 だから、山本さんともたまに喧嘩をしていましたね。ショップデザインって結局「売れてナンボ」の話になるところがある。デザインという領域ではなく、商売という領域から考えれば売れなければ店として成立しないですからね。建築も、住まい手が住めなければ住宅として成立しないのと同じで。だから、機能は守らないと絶対ダメだと、僕もスタッフには必ず言っています。使い勝手だけは間違わないようにと。しかし、デザインの話はそういう問題ではないと僕は解釈をしていた。山本さんも僕もお互いの領域を信じてデザインをしていましたからぶつかって喧嘩もしましたけど、やっぱり本気でものをつくっているわけだから、熱意でつながっていましたね。これは能力というのは別問題で、誰もが持てる力だと思う。それは学生と先生との関係もそう。教える・教わるという簡単な話ではないですね。

北岡 「建築」というか「住宅」ですよね。そこが基礎部分になっているのは正しいと思いますよ。応用が効きますからね。商業デザインでちょっと面白いアクロバット的なことを学生に教えたとして─例えば、Y’sでやったことをただ見せてもそれがその学生の為にはならないと思うんですよ。でも、ひとつのデザインがどういう思考で出来ているのか、ただ面白い形をつくるためにやってるわけではないということは教えられる。

 例えば倉俣さんのデザインは分かり易いですよ。実用的ではないけど、面白いというだけで成立するものもあるじゃないですか。例えば、傘立て。傘を差せない傘立てというのもあるだろうか。「あっても良いじゃん」と言う人もいるし、「そんな機能もないものは傘立てとは言えない」と言う人もいるかもしれない。ではそこで、そのモノの意味や意義というのはどこにあるんだという話になっていくと思うんですよ。当然、デザインとは人にとってどういったことなのかという話にもなっていく。

 便利は人、ものを汚くする。全部都合が良いようにやっていくってことはダメだ。そこにデザインの美徳があるんです。便利はいいけれど、そのままずっとモノが積み上がっていったらゴミ屋敷になりますよ。それが豊かなの? 僕は何もないような閑散とした家が豊かだと思う。人間は単なる動物ではない。豊かさを感知する力を持っているというところに良さも悪さもあって、そこにデザインというものが、ある意味、成立する条件をもっている。さっきの話にあった機能、使い勝手の良さっていうのは当たり前ですが、それを踏まえた上にデザインの意義とか意味があるのだろうと。

北岡 流行の現象とか表層を教えないところではないかな。僕らの頃もそういう先生はいなかったです。だから内田繁さんが所長の頃、基礎デザインを強化しようとしたことは、僕はいいことだと思う。けれど、基礎デザインを教わる期間が昼間部 1 年生の半年間くらいですから、中途半端だなって思ったりはしている。 1 年くらいやらないと無理じゃないかって。

北岡 今の学生って熱い子がいないからね。ものつくるっていうことは熱意だと思うんだよね。農業にしてもなんにしても、なにか好奇心がないと続かないよ。「好き」とか「好奇心」がないと、モノをつくっても面白くない。だから今の学生は事務所が終わったら終わり、学校が終わったら終わりになってしまうのかもしれない。学校が終わったら終わりじゃないんですよ。僕らが桑沢行っている頃は、駒場にクラスメイト数人で場所を借りていてね。学校が終わったらそこへ行って、終電で帰って、また課題やって。昼間も時間空いているわけだから、課題がないときはなるべく映画見る、みたいなことをしていた。

 今の学生はもっと努力しなきゃ。例えば 1 枚のレイアウトをきちんとできるようにならないと、何をやってもダメだよ。逆に言うと、スペースで上手い子はファッションやっても上手くできるんだ。そこは忘れないようにしてほしい。

 それから、周りからの影響を受けよう。すばらしいデザイナーがいたとして、あの人の趣味はこうだから、こんなデザインができるのかなって思うよね。それを真似したりする。憧れているわけだから、触発もされるわけですよ。しかし、それは通過点なんです。子どもも、風邪を引いたりしながら強くなっていくわけで、そういう時期がないと良いことも悪いことも自分の中に入って来ないよ。やはり、いろんな人から良いことも悪いこともいっぱい影響受けなきゃダメ。やってみると、大怪我したりするんだよ。だけど、それが大事なんです。

 デザインをやりだすと勉強しないわけにはいかなくなったというか、変なところに入り込んでしまったなあと、それが、わりと本音だったかもしれないね。やることがいっぱいありすぎて、徹夜してもおさまらないというか。デッサンでも、正確に描けて当たり前で、それ以上に入り込んでいったときにデッサンの意味とか必要性が分かってくる。でなければ、「描写力がなかったら、写真がある!」って、学生の時にそういう屁理屈でも言いまくってやっちゃえばいい。その方が面白いよね。