SNSの爆発的な拡大やコロナ禍という異例続きの時代の中で、誰もが新しいライフスタイルを模索している。社会構造の改革が半ば強制的に起こったことで、いつか訪れるはずだった未来が予想しないスピードで目の前に現れ、適応能力のある者だけが生き残る――そんな状況下で、桑沢で得た「デザイン思考」を「暮らし」全体に落とし込み、素のままに、等身大で楽しみ生きる卒業生がいる。自分自身のストーリーまでデザインしている卒業生の姿に、これからの新しいデザイナー像を垣間見た。
インタビュアー:大松 俊紀(スペースデザイン分野 責任者)
奥平 眞司
Masashi,OKUDAIRA
1994 年愛知県生まれ。2017 年日本福祉大学卒業後、桑沢デザイン研究所夜間部にて空間デザインを学ぶ。在学中に開設した YouTu be チャンネル「OKUDAIRA BASE」にて料理やDIY、物選び、整理整頓、家族や友人を招いてのもてなし、一人キャンプや旅行など、自分の時間を楽しむ方法を配信。YouTubeチャンネルの登録者数は約 30万人。映像製作、キッチンツールのデザインも行っている。
Instagram @okudaira.m
Youtube @OKUDAIRA BASE
オンラインストア cores-ec.site/kiduki
18歳の頃から「暮らし」を発信したいという想いがあった
学生時代のDIYがすべての始まり
大松:まずは桑沢に入った経緯から教えてください。
奥平:愛知県の知多半島で一人暮らしを始めたのが18 歳の頃。大学は福祉専攻で、今とは全く関係ないことを勉強し
ていました。そこは海と山しかないような町で、やることがないので海岸に行っては流木などを拾って家具を作ったり、家のDIY をしたり。そこからインテリアが好きになり、デザインというものに興味を持ちました。デザイン学校への入学を考え始めた時に、桑沢の講師や卒業生に名の知れた方々が数多くいたことを知って、入学を決めました。その頃は自分の考え方を一新したいという想いがあったので、創立者である桑沢洋子さんの「概念砕き」という理念と一致していたことも決め手のひとつですね。大学を卒業して、桑沢の夜間部に入学しました。
大松:YouTube で家具やDIY の動画を配信しているよね?
奥平:18 歳の頃から、「暮らし」の発信をしたいという想いがあって、まずはInstagram でインテリアやDIYした家具などの投稿から始めました。それを見てくれる人が徐々に増えてきて、桑沢に入ってからYouTube をスタートしたんです。
大松:桑沢に入る前と後で、考え方に変化はありました?
奥平:かなり変わりましたね。桑沢に入る前は、デザインされた空間というのはピカピカした表面的な装飾というようなイメージがあったんですけど、もっと奥が深かったですね。あとは自分の視点だけでなく、あらゆる視点から物事を見て、相手のことを思いやったものを作ることを意識するようになりましたね。
大松:夜間部の2年間で印象に残っている授業はありますか。
奥平:入学してすぐの、6m× 6m の住宅設計(夜間部1年前期「ドローイング」の授業)。4人暮らしで、冷蔵庫や洗濯機も配置するという最低限の条件がある中で、動線ひとつ考えるのもかなり難しい。それが夏休みの宿題にもなりました。最初は無計画に進めてたんですけど、大松先生に『柱1本を立てるのも意味がある』、つまり何故そこに置くのかという理由も必要だと指導していただいて……僕はただカッコいいと思ってそこに柱を立てたんですよ。でもそれって家族のことは考えられていない。一つひとつの意味の重要さを夏休み中にひたすら考えて、ブラッシュアップして……という課題でしたね。
大松:最低限のものしか入らない空間で、本当に何が必要かをよく考えないとデザインが成立しない、という課題だったからね。最終的に卒業制作では、エレメントを選んでたけど。
奥平:卒制のエレメントは「3」という数字が共通テーマで、「3」にまつわる事象を調べながら、何を作るかを考えるというものでしたね。この世には3という数字が多くて、おにぎりの三角形、3本脚のチェア、1・2・3位の順位が3位までとか。結果、「T(h)ree chair」という3 本の木で囲われた椅子を作りました。
柱1本を立てることの意味を考える
左: 大学生のころにDIY で作った流木の家具。
右: エレメントデザインC での卒業制作。プロジェクトタイトルは「T(h)ree chair」。ハンガーにもなる3 本の木で囲われた椅子を作り上げた。わずかにしなる脚が心地よさを生み出す。
そこにどんな「ストーリー」を生み出すか
大松:インテリアや住環境じゃなくて、エレメントを選んだっていうのは、卒業後のことも考えて?
奥平:流木で家具をDIYし始めたのが入学のきっかけでもあるし、家具に対しての強い思いがあったんです。大松先生がよく言っていた「ストーリーをしっかり作る」という言葉が僕の中に強く残っていて。今のYouTube 活動がまさにそうですけど、ストーリーを作ること、家具一つにしてもどのように出来上がっていくのかという工程を相手に見せることに重点を置くようになりましたね。それはエレメントに限らずインテリアや住環境もそうかもしれませんが。あの、渋谷のハチ公前のあの課題……。
大松:2年後期の、ハチ公前の広場をデザインし直すという課題ですね。
奥平:「通行人が何かを感じるような空間を作る」という課題でしたね。当時は何が何だか分からなかった(笑)。今考えると、「何かを感じる」って、その課題が桑沢っぽい。通行人が何かを感じるということは、ただその家具や住宅を設計するんじゃなくて、もっと中身の深い部分を考えなきゃいけない。
大松:何か特定の目的を教員が学生に与えるんじゃなくて、それを学生が自分で考えるという。何のためにあの場所を使うか? 通る人、使う人が何を感じるか? 新たに何を感じるための空間を作るか?という課題は、確かに桑沢っぽいかもしれない。渋谷にある桑沢という環境で勉強して良かったことはありますか?
奥平:都心なだけあってすごくクリエイティブで、情報量も全然違うし、全国から人が集まってくる。その中で僕も何か面白いことができるんじゃないかとワクワクしました。渋谷にあるせいか細長くて狭い校舎の中で横の繋がりが増えて、僕は夜間だけど昼間部のスペースやビジュアルの学生とも幅広く繋がっていましたね。フリースペースで隣の人と話すこともよくありました。
大松:桑沢で学んだことや得たことで、今の仕事に一番影響していることは何?
奥平:一つひとつよく考えて行動することですかね。柱1本立てることの意味を考えるように、些細な物事に対しても深く考察するよう意識しています。YouTube 撮影の時も、どのようにして見せたらいいのか、ワンカットごとに自分なりの意味を込めるようになりました。あとは時間の使い方かな。桑沢って、課題がちょっとでも遅れると見てくれないじゃないですか(笑)。社会の厳しさを知れたのはすごく大きい。そのお陰で僕もフリーランスとしてやれています。
YouTubeが仕事化したのは完全に成り行き
大松:就職するクラスメイトが多い中で、奥平は卒業後いきなりフリーランスになったよね。卒業してすぐ一人でやることに不安はなかったの?
奥平:あまりなかったですね。桑沢は、特に夜間は幅広い年代の方がいるじゃないですか。彼らのいろんな話を聞いていたら、どうにかなるんじゃないかって(笑)。そしたら卒業後すぐ、僕のYouTube がヒットしたんです。卒業の最終プレゼンの3日後ですよ。ちょうど、YouTube のスタイルをガラッと変えた時なんです。今までは料理は料理、DIYはDIYって部分部分で見せていたけど、その動画は朝起きてから寝るまでの1日のストーリーを見せたんです。何気ない日常を映した内容で、そのストーリー性が面白いと視聴者の方に言ってもらえましたね。それをきっかけに、今のスタイルが確立しました。
大松:どうしてフリーランスになろうと?
奥平:2年生の前半から、僕は一人でやった方がいいんじゃないかと思うようになって。入学後1 年間はアルバイトをしたんですが、僕、人と働くことが圧倒的に向いてないんです。人は好きだけど、僕がやりたいことができない。一緒に働いていると、つい人に任せちゃうんですよ。人に頼ってる自分がすごく嫌で。一人だと自分でやるしかないじゃないですか。それからは個人で動くアルバイトをするようになりましたね。
大松:それで生計を立てて、あとは学校とYouTube 製作?
奥平:その頃はYouTubeでの収益はなかったんです。YouTube を仕事にしたいとは当初から思っていなくて、完全に成り行きなんですよ。僕はただ、「暮らし」が本当に好きで、自分の好きなことにひたすら集中していただけなんです。
大松:YouTube で卒業前にヒットしなかったら、卒業後はどうするつもりだった?
奥平:就職せずアルバイト暮らしでも好きなことを続けるのに不安はなかったですね。僕の書籍で「15 万円あれば楽しく生活していける」と書いたように、月にこのくらいあれば大丈夫という確信があったので。
奥平:YouTube を始めて、いつか本を出したいとは思っていたんですけど、卒業した年の冬に、誠文堂新光社という出版社の方から「一緒に本を作りませんか」と連絡をいただいたんです。そこから約5ヶ月の短期間で作りましたね。桑沢を卒業した翌年の5月に出版です
大松:それは出版社の人がYouTubeを見て連絡してきたの?
奥平:はい。YouTubeを通じての連絡が多いですね。2021年5 月に西武渋谷店で開催した『暮らしの道具展』に出展
する道具の製作も、YouTube がきっかけです。その時に製作した計量スプーンなどの道具を4 つ、今まで作ったものを4つ展示しました。
大松:キッチンウェア製作の仕事ではどういう役割なの?プロデュース?
奥平:プロデュースというよりも、プロダクトデザインですね。「ki duki」というブランドでキッチンウェアをデザインしています。工場探しや包装、販売など、デザイン以外の部分は業さんとタイアップしています。今は、以前から作りたかったガラスのコップや計量カップなどを製作中です
失敗も見せる。嘘は最終的にバレるんです
大松:ちなみに毎日の生活ってどんな感じなの? すごい時間をかけて朝ご飯を作るって聞いたけど。
奥平:そうですね(笑)。朝は5 時半か6時に起きて、朝ご飯を作ってます。最近は時間も短くなって、1時間で作って食べますね。撮影の日なら朝食からカメラを回して、掃除に畑仕事、庭の整備をしていたらお昼になって、それも撮影しながらお昼ご飯。それから道具関係の仕事をして、夜ご飯の食材を買いに行って、夜になってご飯食べて。最近だと9時には寝てますね。
左・右:2021 年5 月には西武渋谷店で「暮らしの道具展」を開催。計量スプーン「eda」、ミトン「pokke」、直火にかけられるお皿「火の皿」、お香立て「moon」などを展示した.
計量スプーン「eda」。硬くて丈夫なインドネシア産のサオの木を使用。柄は4mm と細く、好きな長さにカットして使うことができる。
スペースじゃないと逆にダメだったかもしれない
奥平さんが主宰するYouTube チャンネル「OKUDAIRA BASE」の撮影風景。ちなみに背景に写っているデスクやパーティションなども奥平さんのDIY。
大松:めっちゃ早いね(笑)。いわゆるデザイナーというと、クライアントのためにデザインをして、自分の仕事が世の中にうまく広まればという人が多いけど、奥平のやってることはちょっと違う。自分のリアルな生活を元に、余計な装飾はせず正直に発信しているっていう印象。何かこだわりは?
奥平:確かに普通のデザイナーとは全く違いますね。視聴者さんがクライアントというか。YouTube で発信をしていると、こんな動画を作ってほしいとメッセージがあるんです。それで僕が作りたいものと一致していたらそれを作る。あと依頼が多いのが、フライパンなどの道具の製作とか。
大松:発信する時に気を付けていることってあります?YouTube では自分の豪華な暮らしぶりを見せてる人もいるけど。
奥平:「素を見せる」ということですかね。YouTube は全部自分で編集しているから、例えば料理を失敗してもカットできちゃうんですよ。でも僕はちゃんと失敗も見せるんです。ネギが床に落ちちゃっても、そのまま配信する。格好つけて作り込んでも、嘘は最終的にバレるんです。失敗も見せるスタイルが親近感に繋がって、見てくれる人が増えるんじゃないかな。あとは、僕は今27 歳で、年齢が結構若いから差別化されている点はあると思います。暮らしというと40 代50 代くらいの方が徐々に好きになるイメージが強いけれど、20 代で暮らし系の動画を発信していると珍しがられますね。
大松:コロナはYouTube での働き方に何か影響がありました?
奥平:良い意味で、すごくありましたね。ステイホームが増えて、お家時間の過ごし方をみんながWeb で検索し始めた。僕の動画はDIYとか料理とか、ほとんど家の中で楽しめることなので、その時期に爆発的に伸びましたね。桑沢の卒業直後が僕の中でYouTube の第一波で、第二波が2020 年の春。コロナ禍で、僕の動画の需要が増えたんだと思います。
自分の「好き」が、仕事を運んできてくれる
大松:卒業して2年経つけど、今のような仕事の仕方を選んで、良かったこと、後悔してることってある?
奥平:後悔はあまりないですが、YouTube で発信していると、厳しい意見も頂いたりするんですよ。なのでランニングをするとか、ストレスを感じないような食べ物を摂るとか、体調管理に気を配っています。
大松:なるほど。
奥平:でも、YouTube は仕事を運んできてくれるっていうすごく大きな良い面がありますね。好きなことをずっと続けていると、好きな仕事が回ってくるんですよ。例えば僕は、好きな道具の紹介をする動画を作っていたんです。「このペッパーミルがすごく良いですよ」って細かく説明して。そうしたらキッチンウェアのデザインの依頼が来るようになった。YouTube が仕事を運んできてくれるんですよね。自分自身が心底好きなことを発信していたら、どんどん好きな仕事が舞い込んでくる。
大松:YouTube やSNSは、ある意味こちらからの一方向の情報発信でもあるじゃない。誰に対して情報発信しているのか曖昧な部分もあるけど、不安にはならない?
奥平:再生回数が少ない時は不安だったりもしたけど、自分が好きなことをただ自分が発信したいだけなので、少しでも見てくれる人がいればいいかって。YouTubeを始めたての頃は1日経って10 回しか再生されないこともよくありました。
大松:それでも続けられたのは、自分が好きなことを発信してるからだね。
奥平:そうですね。YouTubeは好きなことを動画に収めた記録という感覚です。ただ好きなことをやっていたら、チャンネル登録者も再生回数も増えて、結果的にそれが仕事になっただけ。でも、好きなことに対する情熱は絶対的に強いと思います。
大松:例えば海外暮らしとか、他と大きく違う生活の発信は注目されるかもしれないけど、そうではなく、奥平は自分の何でもない日常を伝え続けているよね。
奥平:YouTube を始めた当初からそうなんですけど、今もやりたいことをどんどんやっていくという暮らしのスタイルは変わらないんですよ。今YouTube が終わったとしても僕は全然不安には感じないですね。また別の新しいことを探します。
オンラインで行ったインタビュー。左が奥平さん。右は大松先生。引っ越したばかりの新居からインタビューに応じてくれた(21年5月14日実施)。
分野を越えたヨコの繋がりは本当に大事
大松:今の学生は大変だと思うんですよ、不安も大きいだろうし。そんな学生たちにメッセージを。
奥平:僕自身、桑沢時代はすごく肩に力が入っていたんですが、ちょっと力を抜いて、好きなことに対してもっと貪欲に突き進んだ方がいいと思いますね。YouTube をしていて特に強く感じるんですが、好きなことをやっていると、いろんな所から人が集まってきてくれます。それこそ桑沢ってすごく小さな学校だから、友達に色々話をすれば、何かを機に好きなことが見つかったりする。卒業して何年か越しに友達から「あの時コレが好きだったよね」って連絡がくるかもしれない。横の繋がりは本当に大事だと思います。僕がよくやっていたのが、課題を同じスペースじゃなくてビジュアルデザインやプロダクトの学生、いろんな人にプレゼンをすること。スペース以外の方の視点も大事だと思います。その頃に「デザインはひとりで作り上げるものじゃない」と思うようになりました。プレゼンもどんどん上手くなっていきます。
大松:夜間って2年間という限られた時間じゃないですか。「2年間であれもこれもやらなきゃいけない」って焦りはなかった?
奥平:なかったですね。桑沢時代、2年間ってすごく長いなと思っていました。自分が何を作るかじゃないでしょうか。入学当初はアルバイトをしていたけど、桑沢のデザインのこと1つに集中するために辞めました。時々やる単発のバイトだけ。何を選択して、何に集中するかという時間の使い方は意識すべきだと思います。
大松:スペースで総合的に「暮らし」を勉強して良かった?
奥平:スペースじゃないと逆にダメだったかもしれない。建築やインテリアって守備範囲の広い分野ですよね。小さな置物から空間全体までのデザイン。だから深い部分まで見えた気がするんです。多様な面を学んで吸収できたことは大きいと思う。
いろいろなところに種を蒔く
大松:浅葉先生がいつも言ってることを思い出した(笑)。「人生は来た球を返してればいいんだ」って。浅葉先生は来る球以上の球をもっと打っているんだよね。奥平も、YouTube でいろんなところに種を蒔いてる。
奥平:そうですね。打ってみないと分からないことも結構ある。思わぬ投稿がバズったり。何かしら出してみるっていうのは、何かのきっかけには絶対繋がると思うんです。そういう意味では、YouTube は種蒔きにぴったりですね。
大松:最後に、今後何か実現したいことがあれば。
奥平:やっぱり、YouTube のコンセプトでもある、僕が本当に好きな「暮らし」のことを続けていきたいです。僕の暮らしを見てくれた人に、それぞれ自分の暮らしを楽しんでもらえる場を作ることができれば嬉しいです。発信の手法は動画だけでなく個展などリアルな場づくりかもしれない。何らかの形で、それをどんどん実現していきたいです。