桑沢学園では、2023年4月より新たに校舎の運用を開始。現校舎からほど近い場所にある地上4F、地下1F の鉄筋コンクリート造の建物を全面的にリノベーションし、現校舎と併用することで教育施設としての機能の充足を図っている。今回新校舎のリノベーションを担当したのは、昼間部スペースデザイン専攻卒業生の志摩 健さんだ。彼自身が学生時代から今まで歩んできた軌跡を振り返りながら、新校舎のリノベーションへの想いや未来のデザインを育む学びの場の姿について語ってもらった。
桑沢学園では、2023年4月より新たに校舎の運用を開始。現校舎からほど近い場所にある地上4F、地下1F の鉄筋コンクリート造の建物を全面的にリノベーションし、現校舎と併用することで教育施設としての機能の充足を図っている。今回新校舎のリノベーションを担当したのは、昼間部スペースデザイン専攻卒業生の志摩 健さんだ。彼自身が学生時代から今まで歩んできた軌跡を振り返りながら、新校舎のリノベーションへの想いや未来のデザインを育む学びの場の姿について語ってもらった。
インタビュアー:大松 俊紀(スペースデザイン分野 責任者)
志摩 健 / Shima Takeshi
1987年、神奈川県横須賀市生まれ。2009年、昼間部総合デザイン科スペースデザイン専攻を卒業し、株式会社We +F Vision(2009 -2011年)、株式会社arflex japan(2011- 2017 年)、株式会社DRAFT(2017-2019 年)へ勤務。2020 年にmoss. を設立し、建築など空間づくりを軸に、苔むすように悠久な時を過ごせる質朴で心地の良いデザイン目指す。2022 年より桑沢デザイン研究所指導教員。
美大にはない密度とスペード感で学ぶ
大松:今日は新校舎のリノベーションを担当してくれた志摩くんにお話を聞いていきたいと思います。まずは、桑沢に入ったきっかけから教えてください。
志摩:小さい頃から絵を描くのが好きだったこともあり、大学受験時に予備校に入って美大を受験することにしました。結果的に多摩美術大学と桑沢デザイン研究所に合格して、色々な人に相談したところ、予備校の先生に「志摩には桑沢が合っていると思う」と言われたことがきっかけで、桑沢に入りました。
大松:世間では学歴だけを考えると美大の方が箔がつくというような見方もある一方で、それを蹴って桑沢を勧めた予備校の先生の見立てはどういうものだったのだろう?
志摩:予備校には2 年間くらい通っていて、先生が僕の人となりや性格を見た上での見極めだったのかなと思います。じっくり時間をかけて美大で4 年間過ごすよりも、桑沢で3 年、課題も多くて大変だけどその密度とスピード感の中でやっていく方が向いているんじゃないかと言われましたね。自分としてもそれに対して違和感はなくて、割とスムーズに決められたと思います。学歴を考えても、大学の方がいいとは僕はあまり思っていなかったので、迷いはなかったです。
「あらゆる分野を複合的に含むスペースデザインの道へ」
大松:桑沢では昼間部の場合、1 年次で4つのコースの基礎的なことを学んでから、改めて進路を決めていく仕組みですが、最初は確かグラフィック志望だったのがスペースデザインに進路変更したということですよね。何かきっかけがあったの?
志摩:大松先生はおそらく覚えていないと思いますが、実は大きなきっかけは大松先生なんです。課題の講評してもらいながら先生と雑談をしていた時に進路の話になり、僕はなんとなくグラフィックに進もうかなという話をしていたら、大松先生が「スペースデザインは建築やインテリアをやっていくことになるけれど、その中でグラフィック伝達、プロダクトなど複合的にデザインの要素が含まれているから、興味があったらスペースデザインにきてみたら?」と。それで、そういう分野もあることを知りました。その後も大松先生のスペースデザインの授業は取り組んでいて楽しかったので、2 年に上がる時にやってみようかな、という興味本意で踏み込んでいきました。
大松:私の口説き文句に釣られたということだね(笑)。スペースデザインに進んでからは、どんなことが記憶に残っている?
志摩:大松先生の課題で篠原一男の住宅の隣に自分の考えた住宅を建てる「ふたつの住宅論」は、当時随分時間をかけて模型やスタディをして楽しかった記憶があります。それから今は亡き中山定雄先生が僕にとっては、フランクに話せる存在でした。大松先生は建築家、中山先生はインテリアデザイナーとして、前線で活躍している人のもとで課題に取り組むことで、自分が将来その業界でやっていく姿をイメージしていけた気がします。加えて時折内田繁先生のようなレジェンドが来てくれて、インテリアデザインの黎明期から今の流れを丁寧に教えていただける時間もあって。そんな環境は今思うととても有り難かったなと思います。同級生は歳が近い人も多く、切磋琢磨できる仲間ができたのは大きかったですね。当時のクラスメイトは今でも同じ業界にいて、刺激し合える関係が続いています。
大松:志摩くんの学年は特に仲良かった印象があるね。卒業制作はどうでした?
志摩: 卒制は、学生に対してそれぞれ1/1、1/2、1/5、1/10…と異なるスケールを割り振られて、そのスケールに見合ったものをデザインし、1.5m 角のスペースで表現しなさいという課題でした。複合施設のような特定の何かを作る課題とは違い、割り振られたスケールに基づいてどこに何をつくるのかも自分で設定していくため、とても苦労した記憶があります。僕が割り振られたのは1/100 のスケールで、最終的には地元の横浜にある象の鼻パーク周辺の敷地に決めて、そこに昔のメタボリズムを想起させる、テトラポットの集合体のような海中ホテルを設計しました。
大松:結構巨大な模型を作っていたのを私も覚えているけれど、確かあの時は次の年から内田繁先生が所長に就任されてゼミ制になるタイミングで、比護結子先生や設計組織ADHの渡辺真理先生、木下庸子先生など、講師陣も豪華なメンバーだったので、最後に何か変わったことをやろうとなって、まず展示する模型の大きさ(1.5m 角)を決めて、スケールを1/1 ~1/10,000ぐらいまで学生に割り振って、スケールをもとに何をデザインするか学生自ら考えるという内容でした。1/10,000 の都市スケールを割り振られた学生は、悩みすぎたのか途中で一時期学校に来なくなったけどね(笑)。
志摩:2 年生以降はプロである先生方に講評してもらう独特の緊張感もありました。卒制に関してはそれぞれ自分が与えられたスケールで最適な制作物を作ることを通して、スケール感覚そのものについて深く考えられたと思います。そういう意味でも僕は楽しんで取り組んでいました。
独立までの道のり
大松:桑沢を卒業して、今は独立して仕事しているけど、卒業してから独立までの流れを教えてくれる?
志摩:当時卒業するまでに就職が決まっている人はあまり多くなく、僕も卒業制作が終わってから就職活動を始めました。ちょうどリーマンショックの年だったこともあり、周りも就職先が決まっていない状況で、どうやって就活したらいいかもあまり分かっておらず、最終的に渋谷のハローワークまで行きました。そこで建築事務所やインテリア事務所の求人を見て株式会社We+F Vision に辿り着き、アシスタントとして2 年半程働きました。事務所の先輩に今でも家族ぐるみの付き合いがある方がいて、彼にデザインが好きなら志摩にもっと合っているところがあるから、もう少し探してみたらと言ってもらったことがきっかけで、arflexという家具メーカーに転職しました。そこで6 年弱、VMD*やディスプレイデザインなどに携わりましたが、楽しかった一方で設計やインテリアデザインを改めてちゃんとやりたいという思いが芽生えて、オフィスデザインやインテリアデザインを手がけるDRAFTという会社に入りました。そちらで3年ぐらい経験を積んで、moss.として独立してからは2 年半ぐらいです。
大松:DRAFT代表の山下泰樹さんには、桑沢の非常勤を担当してもらっていますが、オフィスデザインで有名になった会社でもありますよね。将来的にオフィスデザインをやりたいという気持ちがあったの?
志摩:僕が入社した当時は、オフィス空間にもしっかりデザインを取り入れていこうという流れができていて、その分野を牽引してきた事務所に入ったら色々経験をさせてもらえるのではないか、という期待はありました。クライアントのほとんどが企業ということもあって、日本で今どんな企業に勢いがあり、業界にどんな動きがあるのか、知ることができました。
「他者から導かれた先に今の自分がいる」
大松:独立するタイミングで何か意識したことや一番のきっかけになったことはありますか?
志摩:僕は基本的に方向転換が自力というよりは他力によって導かれてきたところがあります。桑沢に入ったのも予備校の先生に勧められたのが大きいし、スペースデザインへ進んだのも大松先生の言葉でしたし、最初の職場から転職した時も先輩から言われたのがきっかけでした。DRAFT でも、当時の上司に「志摩は自分の色があるから独立する方が向いているのでは?」と言われたことで、それまで全然考えていなかった独立という選択肢が浮かんできました。その時、年齢も三十前半だったので、一度挑戦してみようと思いました。
大松:独立後の最初の仕事はどうやって見つけたの?
志摩:当時は他にツテもなく、辞めてすぐには仕事がないだろうなと思っていました。そうしたこともあり、一度独立してみようと考えていることを周りに素直に話していました。すると知り合いの不動産屋さんから、代替わりのタイミングで新築の集合住宅を建てるから、独立するならデザイン監修をしてほしいと声がかかったことがきっかけで独立しました。
卒業生の視点から新校舎のデザインに込めた思い
木々の奥には丹下健三設計の国立代々木競技場が見える
大松:志摩くんには今、夜間部で指導教員をやってもらっていて、指導教員をやり始めたタイミングで、新校舎をリノベーションする話が持ち上がったことから、今回依頼することになりました。リノベーションを進めるにあたって、デザインのコンセプトやどういう思いで取り組んだのか、教えてもらえますか?
志摩:旧ヒコ・みづのジュエリーカレッジの建物だった場所に、桑沢の教室を新たに増やして現校舎と併用して運用したいというオファーがあったのが最初です。桑沢からのリクエストは、1Fを教職員室とギャラリーに、2Fと3Fを教室にしてほしい、そのほかは提案次第ということでした。自分自身も現校舎で学生時代を過ごした経験をもとに、新校舎を作るにあたって現状で足りていないものや、デザインを学ぶ学生が気持ちよく過ごせるのはどんな場所だろうと考えました。最初に明確な予算が決まっていたわけではなかったので、どこまで出来るか分かりませんでしたが、卒業生の目線から新たな関係性が生まれるような機能や学生が喜んで過ごせる環境を考えてお伝えしていくうちに、段々とそれに応じて予算をつけていただけたので、そのプロセスはよかったなと思います。
「都心のデザイン学校ならではの良さを引き出したかった」
大松:バウハウスの流れも意識しましたか?
志摩:桑沢デザイン研究所は、桑沢洋子先生がドイツのバウハウスのデザイン理念を日本にも伝えたいということで作った日本最初のデザイン学校だったので、僕自身もそこで学んだ者として、その2 つを繋げたいと考えていました。ドイツのデッサウの校舎で使われている素材やディテール、空間の使い方などは意識したいなと思って。当時は工業製品の大量生産を背景にモダニズムが広がっていった時代なので、工業製品としてのコンクリートやガラス、スチールなど、バウハウスやモダニズムデザインの空間づくりを押し進めたものを、そのままというよりかは現代なりにアップデートして現代の桑沢に用いるよう試みました。そうすればバウハウスの当時の校舎と現代の桑沢の新校舎としての繋がりも出来るだろうし、新しいデザイン学校としての空間の在り方にも繋がるのではないかと考えています。
大松:本当にデザイン学校らしい空間になったなと思います。それから現校舎だと白黒基調で外壁も黒ですが、新校舎はグレーがベースになっていますよね。なぜグレーにしたの?
志摩:この建物自体が1999年に建てられていて、特徴的なポストモダンで装飾が強い印象があったので、中はニュートラルに作りたいという思いが最初からありました。ドイツのバウハウスの校舎もそうですが、課題をやる、授業を受けるという行為に対して、目の前のことにしっかり向き合えるようなニュートラルな空間が必要なのではないかと。経験上、桑沢の学生は結構自分の色を持っているし、一人ひとりの個性が強いので、その学生たちの色を引き出せるような空間になったらいいなと。そうするとはっきりした白や黒ではなくて、その中間のグレーを使おうというのが出発点です。手すりやサッシも全部スチールで作っているのですが、例えばこのグレーの色は錆止め塗料の色なんですよね。だから塗っているようであって、色にそこまで意味がないというか。錆止めの生っぽい普遍的な色によって桑沢の空間をニュートラルな空間にしています。学生たちはここで2 ~ 3 年学んで社会に出ていくわけなので、社会と学生との中間にある校舎の存在としても、そういうカラートーンにしていますね。
大松:志摩くんのデザインは植栽も特徴的ですよね。今回は内部空間ではあまり使う場所がなく、4Fのテラスに集約したような形だと思いますが、どんなことを意識しましたか?
志摩:単純に植物が好きだということもあるのですが、今回でいうとまず2Fと3Fの教室の間にコモンスペースを設けていて、授業時間外に学生が団欒したり軽く課題ができるような空間になっています。ふらっと立ち寄ったりコミュニケーションが生まれるスペースが現校舎にはあまりなかったので、エレベーターホールにその機能を持たせました。4F は元々半分以上が屋外だったこともあり、最初話がきた時には、学校側はほぼ手をつけるつもりがなかったようですが、国立代々木競技場や代々木公園の緑も臨めるような環境は絶対に活かしたくて。現校舎にも外に出られる場所はほとんどなかったので、こだわりました。多摩美や武蔵美が郊外の自然に囲まれた場所にあるのに対して、桑沢は渋谷と原宿の間にあって、まさにトレンドが生まれてくるような立地の中でデザインを学べることも大きな利点の一つだと思うんです。4Fに気持ちのよいテラスがあることで、都会の真ん中でも自然と繋がれるようなスペースになるんじゃないかなということを考えたので、先ほどの話のように教室部分はニュートラルな空間であるのに対して、4Fだけは雰囲気を変えて植栽が生い茂っているような形にしました。
大松:桑沢の立地って渋谷と原宿の駅のちょうど中間にあることで、渋谷の方からだと逆に一番端でデットエンドになっていたけれど、最近は近くの北谷公園がリノベーションされてブルーボトルコーヒーが入ったり、隣にあった岸体育館が壊されて、渋谷区がスケボーなどの新しいストリートスポーツの聖地を作ろうとする動きもあります。そういったPFI 事業で民間を入れて場所を活性化することで、桑沢の周りがまた新しいスポットになりつつある。そんな中でこの新しい新校舎も上手く広報できていくと良いかなと思います。
教員としてデザイン教育の場をどう考えるか
大松:改めて新校舎が出来上がってみてどうですか?
志摩:出来上がってからの方が落ち着いた感じがします。この新校舎のお話をいただいた時に、先輩方で活躍されている方がいながら、本当に自分でいいのかという気持ちもありましたが、色々なタイミングが重なって声をかけていただいたことが僕にとってもよかったなと思っています。
大松:そうだね。多分、志摩くんがあの時に大きな事務所でスタッフも何人もいてバリバリやっていたら、多分頼まなかったと思う。活躍し始めてこれからという志摩くんにチャンスを与えたいなということがあったので、本当にタイミングが良かったなと思います。卒業生に後からいっぱい言われたけどね、「なんで私じゃないの」とか(笑)。
志摩:そんな声が(笑)。でも完成後の内覧会には桑沢の卒業生の方にもたくさん来ていただいて、「こういう校舎で学べたら自分も良かったな」とか「今の学生が羨ましい」といった反響があったのは嬉しかったです。それから授業を担当している夜間部の学生に施工途中の現場も含めて案内した時に、普段は全然喋らない生徒の目の色が明らかに変わった瞬間があって。もちろん桑沢からいただいたお仕事には変わりはないのですが、実際に使うのは今の学生なので、若い世代が喜んでくれていたのを見た時、一番やっていて良かったなと思いました。
大松:生きた教材として、直接見せられたのは良かったよね。指導教員は今年で2年目ですが、卒業から15 年近く経って自分が母校に戻ってきて、今度は先生という立場で教えてみてどんなことを感じますか?
志摩:僕は昼間部で現役の世代が多く、仲がいい学年で元気だったのを思い返すと、夜間部の1年生は良い意味でも悪い意味でも真面目で、落ち着いている印象はあります。自分の学生時代を振り返ると、現役で活動している先生方のお話を聞いていたことが今にも活きているので、昨年は新校舎だけではなく他にも何個か動いている現場を見せました。もちろん思想的な側面を学ぶことは前提にあった上で、今の学生さんからするとその先輩に当たる人たちが実際に業界でどういう仕事していて、どんなものを作っているのかを見せたり、学生が社会と繋がれる時間も増やしていけたら良いなとは思っていますね。
大松:私や亡くなられた中山先生もですが、リアルな現場の仕事をしつつ教える立場にあって、中山先生のように都市をマッピングするとか、ちょっと変わった授業をしていましたね。直ぐには役に立たないかもしれないけど、10年後には役に立つかもしれないことを教えていることも桑沢の面白いところだと思っています。そういう意味でもデザイン研究の場でありたいと思っていますが、なかなかそれを維持することも難しくなりつつあります。本気でこの業界にいきたい人に本気で教える場所なのか、それともカルチャースクール的なもう少し軽い教育の場になっていくのか。今学校自体もその瀬戸際に立っているように思います。少しでも多く本気の人に来てほしいですね。
東京、馬込に建つヴィンテージマンションの一室のリノベーション。家具メーカーに勤める御夫婦のための家。施主からの要望は、光がよく入ること、リビングを広く取りたい、色を少なくといったシンプルなリクエストをもとに、2LDK だった間取りを、光がふんだんに入る1LDK に。空間を如何に豊かに使うかを考え、4 つの要素(縁側的要素/Compact richness/ 水平窓を生かす/ 陰影礼賛)をデザインへ取り入れた
/ Photo : Koji Fujii | TOREAL / Design : moss.
寝返りを科学し、からだの痛みにアプローチする「NELL マットレス」をブランド展開する株式会社Morght のオフィス兼ショールームのデザイン。ブランドが提案するライフスタイルを体現できるう、‘Abundant Living’=’ 豊潤な生活空間’ というキー
ワードからアプローチ。ひとつひとつの機能が美しいシーンとして点在しながら緩やかにつながる、本質的な豊かさを体感するオフィスリビングになった
/ Photo : Koji Fujii | TOREAL /
Design : moss.
桑沢生に共通する形への探究心
大松:これからデザインの道を志す高校生や社会人で入学を検討している人、入学を悩んでいる人たちに向けて何かメッセージはありますか?
志摩:今でも思うのは、同じ志を持っていたり、好きなものが一緒の人たちが集って、切磋琢磨しながら卒業制作に向けてやっていく環境というのは、社会に出るとあまりない関係性のような気がしていて。会社に入ると、結局上司と部下、同僚という関係になってしまうので、桑沢はそういうフラットかつ本気の仲間に出会える場所だと思います。あとはリアルに働いているデザイナーから近い距離で学べる場は、その後働くことを考えても、とても貴重だと感じます。新校舎もできましたし、そんな環境で学びたい人にはとても魅力的な場所ではないでしょうか。卒業してから業界で10 年以上過ごして、自分自身も今独立して仕事をする中で、自分の周りを見ていると、どこの大学出たかはあまり関係ないし差もないなと感じています。ただ、この作品に惹かれるなと思って見ていたら桑沢出身者だったということがかなり多いんですよね。そこには美大や大学とは決定的に違う何かがある。テーブルと椅子ひとつとっても、形の感覚やディテールの作り方がどこか気持ちよく感じる。その源泉は、桑沢がバウハウスから引き継いだ基礎造形の理念によって、気持ちよい形やそれに対する探究心を感覚的に身に付けていることなのではないでしょうか。もちろん大学的に論評や歴史を学んでいくことで生み出されるアウトプットもあると思いますが、桑沢は1年次からハンドスカルプチャーや紙を折って形をつくる課題など、初歩的なところから段々と専門になるにつれて、造形感覚を自然に学べる学校だなと思います。気持ちのよい形というのは人によって違うと思いますが、各々の中にその感覚が芽生えて育っていく感じがあって。それが社会に出てデザインに携わっている今にとても活きている気がするので、それが桑沢らしさでもあり、僕が桑沢に入って一番良かったなと思うところです。
大松:桑沢の造形教育が生み出す独特な人材が、一般的な学歴と桑沢を別軸にしているんだろうね。今日はありがとうございました。
アーティスト活動支援プロジェクト「MUSIC PLANET」やオリジナル・スクールソング制作サービス「スクソン」等を運営し、楽しむ人たちの夢を全力で応援する企業、TENTiE の名古屋オフィス。レンガの集積からなるシンボリックなファニチャーやエレメントと、亜鉛鋼板のパネルやガラス、ミラーなど無機質な素材とのコントラストによって生まれるエネルギーは、力強い植栽や景石たちと交わることで個性を大切にし活力を生み出す企業の姿を体現する
/ Photo : Koji Fujii | TOREAL / Design: moss.
東急東横線、妙蓮寺の緑溢れる公園の傍。元々郵便局のあったビルに入るコーヒーロースタリーのショップデザイン。古き良き空間の中で、駆体、焙煎機、内装、什器を’ ブレンド’し、それぞれの素材が持つ良さを’ 抽出’ するように落とし込むことで、真新しさが持つ違和感のない、佇まいを継承するような空間に仕上げた
/ Photo : Akira Nakamura / Design : moss.