「内包かつ解放」という言葉は矛盾している。形が変化するプロセスの中で、内包と解放両方の性質を持つものが生まれてくるのではないか。円という内包感を持つ形を敷地全体に配置し、円が重なり合った場所は内包感が強くなる。同時に重なり合った円が内包感を残しつつ解放へと変化していく。内包という境界を保ちながら、子供たちが都市や自然に対して解放されていく。形を構成している地となる部分に住むことにより人間が人間に内包され解放されているようなことが実現するのではないか。都市の中で、子供だけで歩いている姿や、自転車で走り抜ける姿を見ているとなぜか違和感を感じ、危険だと思ってしまう。そのことが自分の中で疑問に感じていた。都市での子供たちの居場所というもはあるのか?外に遊びに出ても危険なものがたくさんあり、危険だからといって外には遊びにいかず家の中で遊ぶ。子供たちの行動は都市によって制限されているのではないかと思い、都市の中での子供たちの居場所を提案する。一つの集合住宅というスケールの中で大人たちは子供たちを見守り、子供たちは見守られているという安心感と都市への開放感の両方を感じ生活していく上で、自主的で制限の無い自由な動きが実現する。制限の無い動きの中で、学ぶことやコミュニケーションが自然と生まれてくるのではないかと考えた。