KDS-SD 桑沢デザイン研究所
スペースデザイン

Lecture Seriesレクチャーシリーズ

2020年度夜間レクチャーシリーズ報告_第3回ゲスト:

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レクチャーシリーズ 第3回(2020.12.05)

加藤巍山さん(仏師、彫刻家)

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加藤巍山さんは、「仏師」という仏像を専門に彫る職人、また彫刻家として活動をしている。お寺に納める仏像の製作や展覧会が主な活動である。2020年、クリスティーズNYという世界で最も長い歴史を誇る、美術品オークションハウスに「示現・Ⅰ」という作品を出品し、高い評価を得た。

今回のレクチャーでは加藤さんのものづくりへの姿勢や世界観を語って頂いた。

まずは仏像を作る際、気をつけていることを伺った。仏像というものは礼拝の対象として、拝む人がそこに集中していけるように作っているそうだ。動きがあったり、ずれていたりすると、人の気が持っていかれる。ヨーロッパの解剖学とは違い、人間のリアリィに寄り過ぎると仏像ではなってしまう。また、仏は人間を超えた存在であるため、人間臭くなっていくと、手を合わせる対象ではなくなる。

次に仏像と彫刻の違いについて伺った。仏像は製作するにあたって様式があり、その決まりごとに従って作っていくという。また、礼拝対象であるため、自分の自由に彫っていくというよりも、自分の存在を消し、自分を透明にしていく。それに対し、彫刻は自分がどのようなものを表現したいか?を自分発信で作っていくもの。つまり仏像と彫刻を作る精神や思考的なものは、全く真逆の方に向かっている。そのため、加藤さんのように彫刻家やアーティストと仏師を両立している方は、かなり稀だそうだ。ただ加藤さん自身としては、自分を消していくという作業と、自分を表現していくという作業は、違和感なく共存しているとのこと。一つのことを突き詰めていくと、それが循環し高め合うのだと語った。

加藤さんは昔、ネガティブな出来事を否定したり、拒絶をしていたが、社会で起きていること、そして自分の身に起きていることは、すべて必然なのだという感覚が芽生えてきたという。そして、祈りはその必然の齟齬から生まれるものだという。地震や災害など、地球規模で考えてみれば必然だったのかもしれないが、個人の営みでは必然として片付けられない悲しみ、苦しみが生まれ、それらを受け止めるために祈る。人の祈りというものは、受け皿のようなもの。これから先、テクノロジーや医学が発達しても「祈り」というものは必要なのだという。

宗教を超えた新しい祈りの形。どこかで社会がそういったものを求めているのではないか。加藤さんは認知を超えた感受性でそれを表現している。日本の仏教の宗教離れ、そういった無宗教の人でも手を合わせたくなるような作品を作るよう心がけているという。

回り道と思うことでも起きていることはすべて大切な出来事で、それがネガティブな出来事でもポジティブな出来事でも、何年か経って振り返った時に「あの時の経験は必要だった」と思える瞬間が来るのだと、最後に学生へメッセージを残したくれた。