6月27日(月)3、4限目の昼間部2年生「ドローイング」(担当:大松俊紀先生)で、『上原通りの住宅』(1976年、篠原一男設計)を見学しました。毎年前期のこの時期に見学させて頂くようになってもう20年近くになります。コロナ禍で中止していたスケッチも再開させて頂きました。いつも住宅の向かいにあった駐車場から外観のスケッチをしていたのですが、現在は集合住宅が建設中で、時の流れを感じます。
『上原通りの住宅』のお施主さんは、有名な写真家の故・大辻清司氏。大辻氏は、その昔桑沢で写真を教えており、同時期に桑沢で住宅設計を教えていた篠原一男と出会いました。二人は意気投合し、まずは軽井沢に今も現存する『土間の家』(1963)を設計することになります。この『上原通りの住宅』は大辻家が篠原に依頼する2つ目の住宅。そして篠原の晩年には、『土間の家』のすぐ近くに、もう一つの別荘を依頼することになりました。
現在お住まいの大辻家の長男夫婦はどちらも桑沢出身ということもあり、数年前に亡くなられた大辻清司氏のご婦人をはじめ、大辻家のご家族にはこの20年近く本当によくして頂いており、いつも感謝しております。
ちなみに、篠原一男のお施主さんで、2つ以上の住宅を依頼したのは、大辻清司氏と先日亡くなった画家の野見山暁治氏、舞台美術家の朝倉摂氏、そして花山の病院経営者と意外に多く、花山の病院経営者以外はみな芸術家でした。。
野見山氏が依頼したのは、『海の階段』(1971)と『糸島の住宅』(1976)。朝倉氏が依頼したのは、『朝倉さんの家』(1966)と『直角3角柱』(1974))。神戸市花山に関しては、『花山北の家』(1965)、『花山南の家』(1968)、『花山第3の住宅』(1977)』『花山第4の住宅』(1980)、『花山の病院』(1988)、『花山の集合住宅』。