KDS-SD 桑沢デザイン研究所
スペースデザイン

Spotlight注目の授業

夜1年「造形発想」

4月23日(水)6、7限目の夜間1年生「造形発想」(伊藤邦彦先生)の授業では、桑沢伝統課題の1つであるハンドスカルプチュアーを行っています。ハンドスカルプチャーとは、木の塊を配られ、学生それぞれが自分の手に馴染む形を探りながらひたすら削っていく課題です。この時一番重要なのは、視覚情報にとらわれず触った時の感覚だけで仕上げるということです。

桑沢にハンド・スカルプチャーを導入したのは、写真家・石元泰博(いしもと やすひろ、1921-2012)で、石元は、インスティテュート・オブ・デザインの写真科を卒業生し、昭和28年(1953)に帰国した。のちに、ワルター・グロピウスと丹下健三が文章を書き、石元が写真を撮った書籍「桂~日本における伝統と創造」(1960年)で一躍有名になった写真家である。石元は、1954年の桑沢デザイン研究所・創立メンバーには名を連ねていないものの、1955年の講師陣には、「構成」授業の担当として、名前が残されている。

まずこのハンド・スカルプチャー自体の歴史的な始まりから話すと、桑沢デザイン研究所のモデルとなっているドイツのデッサウで始まったバウハウスで教授をしていたラースロー・モホイ=ナジ(1895-1946)という美術家/写真家/美術教育家が深く関係している。モホイ=ナジは、ハンガリー人であるが、1918~1920 年の間に起きたハンガリー革命でドイツに亡命し、美術家として活動している間に、バウハウスの創設者である建築家のワルター・グロピウスに出会う。そしてグロピウスによって、1919 年にバウハウスに招聘され、教授として写真を中心に幅広い制作と教育活動を行っていた。特に写真やタイポグラフィを基礎教育に積極的に取り入れ、バウハウスの教育方針に大きな影響を与えた一人である。バウハウスがナチスによって閉鎖された後、モホイ=ナジは、アムステルダムやロンドンでデザイン活動を行うが、最終的に1937年にアメリカに亡命し、シカゴに「ニュー・バウハウス(The New Bauhaus Chicago)」という学校を設 立する。このニュー・バウハウスは名前の通り、バウハウスの教育理念をアメリカという新しい国で更に展開していこうとした学校であった。ニューバウハウスは、後の1944 年に「インスティテュート・オブ・デザイン(The In stitute of Design (Chicago Institute of Design))」となり 、 そ の 後 、 1949年にイリノイ工科大学へ吸収され、教育方針は受け継がれていった。インスティテュート・オブ・デザインでは、石元泰博という有名な写真家が在籍していた。この人物こそが、桑沢でハンド・スカルプチャーを始めた人物であった。(続きの話は、以下の桑沢スペースデザイン年報 2020-2021年、P4-P11に掲載れています)

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